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GAN5がとりあえず何処かへ向かうという話です。先の分からぬ旅へ今行こう!!

gan5と通信

ここワードやPDF貼れない…
コピペで!
ここは静かに書きたいので名前等省略version

gan5通信  2015.529 part 1

まず「釜石ってどんなところ?」という面を伝えていきます!
 
1 山と海に囲まれたまち!釜石!
自然いっぱいのまち、釜石!山と海に囲まれ、車は走っていきます。その景色は見応えあり!海鮮や山菜にも恵まれ、美味しいものもたくさん!次号以降に食べ物紹介もしていきます!
 
2 橋野高炉跡、世界遺産まであと1歩!
釜石が鉄のまちということ、知っていましたか?5月4日に世界遺産の登録の要請がされました。明治時代の近代化を支えた高炉を是非見に来てください!
 
3 ラクビーW杯 2019年 釜石にて開催!
新日鐵釜石のラクビーチームといえば有名だと思います。そんな釜石でW杯が行われることになりました!ただいまスタジアムを作っています。
 
○釜石ってこんな所!!   
(釜石市出身)
釜石は生まれ故郷です。震災以前から観光の仕事をしていました。
昔は工業や水産業に力があり、観光には力を入れなくとも賑わっていました。しかし平成元年に鉄を作らなくなりました。すると人口も減り、店も会社も少しずつなくなり衰退していきました。
24歳から市民活動をしていたのですが、27歳の時、「釜石にもっと人を集められるのでは?」と観光業を始めました。
「自然も食べ物も人間も良い!釜石に1度来てくれれば絶対大丈夫!」そして、「釜石はよその人を受け入れることのできるまちである」とも思っていました。それは何故かというと……
「釜石には『おもてなし』『気遣い』といった日本人の持つ心がある!」からです。
「昔ながらの日本が釜石にある!」
訪れた人達が釜石を良いまちと気づき、また訪ねてくれています。そんな釜石に是非!
 
 
○釜石に到着して…○ 
5月12日の朝に釜石駅に到着しました。駅の周りは賑わっているといえないものの、とてもきれいな状態でした。市街地も整えられ、きれいな街並みが広がっていました。話を聞くと、そんな駅の周りや市街地も津波によって被害を受けたとのことでした。
お迎えの車に乗り、市街を抜けるとまさに「何もない」状態。ぽつぽつと店や家が並ぶだけで後は土地の底上げ工事をする様子が広がっていました。これから作る小・中学校はほかの土地以上に高く作られようとしています。山の中に入っていくとほとんどが仮設住宅、仮設のお店、そして仮設の学校が並んでいました。メディアの情報等で聞いていたものの、実際に見ると驚きの連続でした。後に市街地に行き、改めて周りを見渡すと、新しく作った施設が並んでいます。つまり津波の被害から4年、ここまで立て直してきたということなのです。
釜石に来て2週間、支援をしてきた人、地元の人、働く人……様々な人から当時の様子や現状を聞いています。その話から釜石の人達の努力とパワーを感じています。それらのお話を今後も伝えていきたいと思います。
 
 
○当時避難所開設時の混乱はどのようなものでしたか?
避難所の状況は場所によって違いました。なかなか正しい情報が廻らず、被害状況が分からないという状況でした。震災の翌日、市街地に歩いて向かうと広場が基地となり、たくさんの人が集まっていました。印象に残っていることはそこで自衛隊の方達が食料を配布し、みんながご飯を食べていたことです。すぐに自衛隊が駆けつけてくれたのです。
ただ、そんな避難所だけではありませんでした。その場所から移動すると2・300人いる避難所が見付かりました。(普段は5分で着く場所も山を越えて時間がかかりました)しかしそこには物資は届いていませんでした。前の避難所で行政の方に聞くと、「あそこに避難所があったの?」という返答でした。行政も把握できず、人員も足りない現状があったのです。
 「災害前に出来ていないことは災害後には出来ない!!」
この言葉にたくさんのメッセージが込められています。ある400人いる避難所に200個のパンが届きました。しかしそのパンをどのように配布するのか?判断をできずに受け取らなかった。という出来事がありました。今だと臨機応変にできたのでは?と考えられるのですが、その判断が出来なかったのです。どんな場面でも「一人ひとりが判断できること」が必要であると感じられた場面でした。正解なんてないのですが、そういった判断をすることが大切なのです。
 またある避難所では行政の人が関わらず、地域の住民で生活していました。その地域では全員が役割を持って、生活をしていました。役割があることで、生きづらさを感じることなく暮らすことが出来ていたのです。何故緊急時にそのように生活が出来たのか?それは普段から地域のつながりがあったからです。知っている者同士だからこそ、役割分担がスムーズにいったのです。
 今回の震災で称賛されたのは、「東北には『人のために!』という気持ち、心がけがあった」という点です。たとえ自分自身が大変でも「自分より大変な人がいるから」と人を想い合うことが出来ていました。このような心がけに誇りを感じました。日頃から「地域のつながりを持つこと」、「人のために!という気持ちを持つこと」が大切だと感じ、「心のケア」の必要性とともにネパール支援の方にも伝えています。